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Editors’ Note: WAU編集者の2018年6月〜8月

日馬の架け橋の根底にあるもの

上原 亜季

 幼い頃から郷土芸能に興味があり、将来は様々な地域に根ざした芸能に携わる仕事がしたいと思っていました。しかし、30年後、日本ではなくマレーシアの伝統芸能に関わり、日本に紹介する活動をすることになるとは、その頃は想像もしていませんでした。本当に不思議なご縁です。

 マレーシアに最初に留学してから20年以上が経ちました。現地のマレー系のホストファミリーと1年間過ごしながら学校に通い、マレー語だけではなく、イスラムという宗教、食文化、多様な文化に触れる扉が開かれたのです。

 その後、ペナン島の大学院で民族音楽学を専攻し、マレーシアの伝統芸能について調査研究を行い、日本に帰国後はクランタンの伝統音楽、マレーの舞踊、語り部芸能の演者を招聘するなど、マレーシア文化紹介の企画をしてきました。

 一方で、マレー語の通訳として関わるのは、鉄道関係や製鉄所など、伝統芸能とはかけ離れた分野です。専門が違い過ぎて戸惑うこともありますが、どの分野でも勉強を重ね、経験を積むうちに楽しさも感じられるのです。そして、通訳の仕事の根底にあるのが、マレーシアの文化を言語だけではなく、生活を通して知っているという強み。人と人をつなぐ仕事ですから、生活習慣、食文化など様々な側面を含めて対応できる仕事をこれからも手掛けていきたいです。


シネマでメッセージを伝える

髙塚 利恵

 今年の夏は、マレーシアも顔負けの暑い日々が続いた毎日でしたが、ようやく朝晩、秋風を思わせる爽やかな風が吹くようになってきました。私が7年前に自主映画の撮影のために始めて訪れたマレーシアの首都クアラルプールは、朝晩は天井で回る大きなファンがあれば十分過ごしやすく、日によっては長袖が必要なくらい。でも日中はそうはいきません。じりじりと射す太陽を眩しそうに目を細めながら歩く人々。湿度感じる東南アジアの異国情緒あふれる風景です。映像制作を手がけている私からすると、このロケーションは貴重です。日本では絶対に表現できないワンシーンが撮れるのです。ひとつは光量の差。コントラストの強い美しい映像が撮れるのは、マレーシアのこの太陽のおかげです。そしてもう一つは雑然でしょうか。日本の美しさは整然の中にあり、マレーシアの美しさは雑然の中にある、そんな感想を持っています。

 私たちオッドピクチャーズにとってマレーシアは初めての長編映画を撮影した特別な思いのある国。私たちをサポートしてくれたマレーシアニューウェーブと呼ばれた映画人たちのいる国。それがきっかけでWAUの編集にも関わるようになりました。最近の私は、映画制作のスキルをビジネスに活かすことが主になっています。具体的に言うと、通常のように資金を集めて長編映画を撮るのではなく、一企業が自社のPRのために出資した予算でその企業のための短編映画を撮っています。主に日本が誇る、ものづくり企業やソリューション企業のお手伝いをしています。これは、映像業界ではブランデッドムービーと呼ばれ、欧米や東南アジア、タイやマレーシアなどではメジャーな方法です。YouTubeなどでストーリー性のあるショートムービーを自社のブランディングに活用しているのをご覧になったことがあると思います。実は、このブランデッドムービーが大得意だった監督がいます。WAUでも何度もご紹介してきた故ヤスミン・アフマド監督です。最近では、「タレンタイム」が劇場公開されたのでご存知の方も多いことでしょう。私たちも2015年に開催した「マレーシア映画ウィーク」で彼女の作品を紹介しました。

 彼女は、もともと、マレーシアの広告制作プロダクション、レオ・バーネットのCMのディレクターで、生前、マレーシアのナショナル企業、ペトロナス社の企業広告を多く手がけていたことでも有名でした。何気ない日常、家族のやりとり、そんな短編映画の中に強いメッセージが込められています。一瞬で人の心をつかみ、温かい気持ちを呼び覚ますもの、涙を誘うもの、多彩にあります。残念ながら日本語訳はついていませんが、映像だけでもストーリーがよく分かるのがヤスミン監督の素晴らしさです。今でもYouTubeで見ることができるものもありますのでぜひご覧になってみてください。ヤスミン監督の映画は言葉を越え、国境も越える。オッドピクチャーズもまた、物語でメッセージを伝えることをミッションに、これからも活動してまいります。


マレーシア料理レシピ集を絶賛製作中!

古川 音

 「マレーシア人に故郷の味を学ぶ」をコンセプトに、7年前にスタートしたマレーシア料理教室。レストランのシェフであるアスリさん、チャーさんを中心に先生をお願いし、家庭料理から屋台飯、地域限定の味まで、さまざまなメニューを学びました。今、レシピをまとめたクックブックの制作に取り組んでいるのですが、この7年間の体験が次々によみがえり、私はこの料理教室で、ごはんの魅力に〝憑りつかれた〟(変な言い方ですが、この言葉が今はしっくりきます、笑)んだ、と実感しています。

 アスリさんは、日本に来てから料理の仕事を開始。そのとき、お母さんはすでに天国で、料理を教わったことは一度もありません。でも、お母さんの味が再現できるといいます。「僕は10人兄弟の末っ子で甘えん坊。お母さんが大好きだったから、台所で料理をするお母さんとずっと一緒にいたんだよ」。故郷の味を作るとき、いつもお母さんが近くにいる気がする、とアスリさん。

 チャーさんは、共働きの両親のもとで育ち、親戚の家によくあずけられていたそうです。家庭料理を教えて欲しい、とお願いすると、「忙しいお母さんだったから、ものすごく簡単で、教室で教えるほどでも……」と。無理にお願いすると、たしかに超簡単。でも、その料理のおいしさったら! お母さんが作る料理に、簡単とか難しいとか、そんなものは関係なく、どれも等しくおいしくて、尊いことを知りました。

 ごはんにまつわるすべては、命をつむぐことに密接に関わっています。食材の命をつないで、ひとつの命によりをかけて強くしていくイメージです。だから、ごはんの記憶は、決して忘れない。そんな先生たちから学んだレシピをまとめた「マレーシア・クックブック」。マレーシアごはんの会Webより購入可能です。どしどしご連絡下さい!

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