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Editors’ note 2020年3月〜5月

上原亜季
(編集)

日本でマレーシア音楽に
触れた日々

 マレーシアでは感染症対策として3月18日に「活動制限令」が発令されました。この期間、現地のアーティストの様々な活動の様子がSNS上で公開されました。

私が注目したのは、

(1)国立劇場イスタナ・ブダヤの伝統音楽家によるビデオチュートリアル。マレーシアの伝統音楽や楽器の構造、演奏法などの解説、実演デモを音楽家たちが自宅から配信。
Facebook: Orkestra Tradisional Malaysia

(2)歌手、音楽家がYouTubeで音楽を発信できるよう、通信マルチメディア省が立ち上げたプロジェクト。
#MuzikDariRumah

Muzik Dari Rumahに参加したアーティストの一人 Zee Aviさん

(3)最前線で奮闘する医療従事者、自宅にこもる国民に向けて、「希望を持とう」と有名歌手たちが歌いつないだ歌リレー。どれもみんなしなやかに、楽しそうです。
HopeForMalaysians 『Arena Cahaya』

 一方、私は、マレーシアの音楽仲間の誘いで、マレー民謡ムジク・アスリの曲や、ラマダン明けの大祭「ハリラヤ・アイディルフィトリ」を迎える前にハリラヤの曲のビデオ制作にバイオリンで参加しました。平時ではきっとやらなかったコラボ。ネット時代ということもあり、日本からも参加できたのです。平穏な日常が失われるなか、新たな可能性を見出す機会になりました。

Facebookで動画が公開されています

古川 音
(編集)

マレーシアの食文化を
新しい形で

 今号の巻頭特集は、ずっと紹介したいと思っていた念願のファッション。デザイナーのメリンダさんは、新型コロナウイルス対応で、医療従事者向けの防護服(PPE)製作支援というご多忙のなかインタビューにご対応いただき感謝しています。

 マレーシアはここ数か月、外出制限の措置をとっていました。レストラン、屋台、市場はクローズし、替わりに「グラブ・フード」「パンダ・フード」などの宅配業者が活躍。また店主に直接メッセージして料理や食品(ときにドリアンまで!)を宅配依頼というパターンも。もともと持ち帰り文化が根付いている国なので、宅配への移行もスムーズだった模様です。夕方になると、コンドミニアム前にはバイク姿の配達員が並んでいたそうです。

 さて私はというと、イベントや料理教室は中止になり、家でコツコツとマレーシアの食や文化に関する資料作りをしています。皆さんに会えない日々はさみしいのですが、今できることをひとつずつ。そうそう、先日マレーシアに住む友人とオンラインで飲み会をしたところ、日本にいるのと変わらない距離感で話せてびっくり。オンラインに距離は関係ないんですね。もしかしたら、今までとは別の形で、マレーシアを近くに感じることができるのかも、という希望がみえました。

レシピ動画を配信するアドゥシェフ。マレー語なので詳細はわからないが、唐辛子の多さ、油の豪快な使い方を見るだけでも楽しい!
https://www.instagram.com/chefaduamran/


陳 維錚
(デザイン)

先祖へのご馳走に
風習継承の仕掛けが

 2月末に休暇を実家で過ごそうとマレーシアに帰ったら、MCO(活動制限令)に遭いました。今日は自宅隔離の74日めを迎えましたが、父母とこんなにべったり過ごすのは実に30年ぶりで新鮮です。これだけ長く滞在すると、家族が日常で何をしているのかがみえてきます。

 中国旧暦の一日と十五日に先祖にご馳走をお供えする風習がありますが、両親が今でも朝早くから料理にとりかかり、線香を焚いたり冥銭を燃やしたりしているのは驚きです。鴨を丸ごと煮込み、大きい白身魚、叉焼、海老の塩焼きなどのメニューは私が小さい頃からほとんど変わっていません。そこにあとで食べる家族の嗜好に合わせた手巻き寿司やプリンなどの料理も登場。子どもが「これ誰が食べてるの?」と聞いてくるたびに先祖の話をするので、いい風習だなといまさら感心です。

準備が大変なので、次の代はやらなくてよいと父母は考えているそうです

田中じゅん
(デザイン)

マレーシア人にとっての
「家族」の重要性

 先日マレーシアのオンラインメディアで切ない話を読みました。マレー半島の最南端、ジョホールバルでの出来事。老人ホームを一人の男性が訪れ、曰く「ここに住んでいるご老人を一人貸して欲しい」。は? ですよね。そこだけ聞くと荒唐無稽な話にしか聞こえない。彼の事情はこうです。両親が亡くなり、今年のハリラヤ(イスラム教の一年で最大の祝い事。無理やり日本で例えるとお正月、というところでしょうか)を一人で祝うことになったと。そして寂しさが募り、こらえきれずにホームに来た、ということでした。もちろん老人ホームとしても同情はするけれど本当に貸し出すわけにもいかず、断らざるを得なかったそうです。

 この話で改めて実感したのは、彼らにとって家族、そして家族での集まりがどれほど心の拠り所となっているのか。それを強制的に引き離したウイルス禍のダメージがどれだけ大きかったのかということです。彼も通常の状態ならこんな行動には出なかったかもしれない。一人で活動制限令を耐え、なんとか最小限のお祝いが許される状況になって、改めて一人きりである現実に押しつぶされそうになったのでしょう。

 マレーシアという国、まだまだあまり馴染みがないかもしれませんが、そこで暮らす人々はこうして我々と同じように、ひょっとしたらそれ以上に家族を愛し、その絆を大切にしています。WAUは、そういう「普通の」マレーシア人の日常も伝えることのできるメディアでありたい、と決意を新たにした次第です。

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