マレーシアでは、中国、インド、中東、アフリカと世界各地の影響を受けながら多様な伝統芸能が発展してきましたが、なかには時代の変化のなかで上演の機会が限られ継承者が育たない芸能もあります。2014年からマレーシアの人形劇「布袋戯〈ポテヒ〉」の詳細な調査を行い、現代の社会にあわせて若者たちとこの伝統芸能を復活させ、昨秋、若者のグループ〈オンバッ・ポテヒ〉とともに来日した、マレーシアを代表する民族音楽学者、タン・スイベン教授にお話しを聞きました。
タン・スイベン教授
Prof. Tan Sooi Beng
民族音楽学者 / マレーシア科学大学アートスクール教授
Ethnomusicologist / Professor, Universiti Sains Malaysia
マレーシア国内の様々な伝統芸能の調査研究のほか、多民族・多文化の背景を持つ子供たちを対象に、コミュニティー・アート/シアターを手段としてアートを通した教育を主導する。主な著書にBangsawan: A Social and Stylistic History of Popular Malay Opera (Oxford University Press, 1993), Music of Malaysia: Classical, Folk and Syncretic Traditions(共著) (Ashgate Press, 2004)など。
若者たちと、時代にあった伝統芸能の新たな形を探る
タン先生がこれまで手がけてきた調査や若者たちとの活動について簡単に教えてください。
私はこれまで、アートを通して多民族の子供たちが共に活動し、存続の危機に瀕している多様な伝統芸能への関心を高めることを
大切にしてきました。詳細にわたる調査はとても重要ですが、それだけでは伝統芸能は復活しません。若者たちはその芸能が継承されていくよう、きちんと訓練されなければいけません。そこで、私はAnak-Anak Kota※1 (後のOmbak Muda)のプロジェクト「Music of Sound」の中でいくつかの方法を試みてきました。
マレーシアは多民族社会ですが、伝統文化や芸能は民族ごとにあまり交わることがありません。しかし、先生が手掛ける「コミュニティー・シアター」では、マレー系、中国系、インド系、宗教も違う子供たちが互いの文化を学び、現代のマレーシア社会を反映しながら多言語で作品が作り上げられています。それらの作品は決して学芸会的なものではなく、芸能に真剣に取り組み、完成度の高いものになっています。伝統芸能を残していく上で、なぜ様々なバックグラウンドを持った若者たちが共に学び、新たに作品を創造していくコミュニティー・シアターに着目したのですか?
コミュニティー・シアターは、多民族の子供たち、そして伝統芸能の演者たちに消滅の危機に瀕した芸能を継承するための「力」を与える手段となり得ます。継承者から直接実践的に学んだり、新たな作品を作ることによって、若者たちにも当事者意識が芽生えます。伝統芸能の演者たちも若者が学びに来ることをとても喜びます。寺院での神々に捧げる上演のほかに、様々なフェスティバルやイベントに参加することで演者たちの社会的な立場も改善されます。寺廟からコミュニティーのより開かれた場に上演の場を移すことで、多様な民族、また幅広い年齢層の人々が、失われつつある芸能に触れる機会を作ることができるのです。
今回来日したオンバッ・ポテヒの新しい作品「ペナン島の物語」では、ペナン島住民が登場人物となりローカルの様々な言語が使われていました。この伝統芸能を保存継承し、現代社会にあわせて新たな作品を創作する際に大切な要素を教えてください。
様々な民族の老若男女、多様な社会的背景をもった観客を魅了する作品を新しく創作するには、マレーシアの①多民族社会を舞台にし、②様々な民族衣装に身を包んだ多民族の登場人物が、③実社会で使用されている多様な言語を話し、④マレー、中国、インド、西洋などの影響を受けた現代の音楽を取り込みつつも、⑤伝統的な人形の操り方、音楽的要素、楽器や台詞などを守りながら、⑥公の場で多民族の観客に対して上演することが大切です。特に、その芸能の伝統的に受け継がれてきた要素を守ることは大切です。何でも変えてしまったら、ポテヒはポテヒではなくなってしまいますから。
ポテヒの復興には今後どのような展開が考えられますか?
現在は、アジア、東南アジア諸国の他の人形芝居に関心があります。他の芸能の復活の様々な手法を学んだり、他の人形芝居と共同で新しい作品を制作することにより学べることがあると思っています。それをペナン島で毎年開催されているGeorge Town Festival※2 を通してやり始めています。海外のグループとコラボレーションを通して触れ合い、協働することにより新たな上演のアイデアを得られるだけではなく、海外の人々も若者たちの伝統芸能に対する情熱に関心があるのだ、ということに若い演者たちは喜びを覚えることになります。そのような経験が伝統芸能に対する長期的な関心を生み、ひいては継承へと繋がっていくのだと思います。
※1 Anak-Anak Kota マレー語で「町の子供たち」。ペナン島の子供たちを対象とした文化・遺産教育プロジェクト。民族、宗教の違いを超え子供たちが地域住民から様々なことを実践的に学び、交流し、アート作品やコミュニティー・シアターなどの形で表現をする。(arts-ED主催)
※2 George Town Festivalは2010年から毎年7月、ペナン島・ジョージタウンにて1カ月間にわたり舞台芸術を中心に、地元の文化、歴史にも焦点を当てた多数の作品が展開される芸術祭。
《Ombak Ombak ARTStudio》を母体とし、人形師、音楽家などからなる若いアート集団。ペナン島に現存するポテヒ・グループ「鳴玉凰 Beng Geok Hong」に師事し、ポテヒの上演を総合的に学び、その復活を試み、新たな作品も創作している。
【 ポテヒの歴史】
中国系の楽器、シンバルや太鼓などの打楽器の伴奏にのせて、色鮮やかな民族衣装に身を包んだ、全長30センチほどの人形が舞台に登場すると、手の指先で動かされる人形の鮮やかな動きに魅了され、物語の世界に引き込まれます。中国南部・福建省泉州を起源とし、台湾や東南アジアへともたらされ、20世紀初頭に英領マラヤに伝わった「布袋戯《ポテヒ》」は、ペナン島では主に中国寺院の祭礼や葬儀、神々への奉納として演じられてきました。1950年代には10以上のグループが活動していましたが、1980年代には他の娯楽の台頭とともにポテヒは衰退し、現存するのは4つのグループのみです。
伝統的には、寺院などでの上演では「三国志」や「西遊記」、「水滸伝」など中国古典文学をもとに正義、道徳、忠義などテーマにした物語が好まれたようです。伝統的な作品は、古典的な福建語で語られます。
昨秋の来日公演では、古典「西遊記」物語が演じられ、日本でも馴染みのある三蔵法師や孫悟空、猪八戒などが登場。一方、新しい創作作品「ペナン島の物語(Kisah Pulau Pinang)」は、19世紀末から20世紀初頭のペナン島を舞台にした物語。中国から渡ってきた男性が現地のニョニャ系の女性と恋に落ち、結婚。インド系ムスリムの交易商カッシムとの関わりや、秘密結社の戦い、ライオンダンス、大旗鼓《チンゲイ》、ロンゲンなど、ペナンの芸能も登場。マレーシアならではの舞台設定、そして登場人物が中国語、マレー語、英語など多言語で会話します。マレーシアの民謡など馴染みのある音楽も取り入れるなど、若者たちをも惹き付けます。
※3 ニョニャ(Nyonya)は、15世紀後半からマレーシアに渡って来た中国系男性と現地の女性との子供たちの末裔(プラナカン)の女性の呼び名。男性は「ババ(Baba)」。
参考文献
『Potehi Glove Puppet Theatre of Penang: An Evolving Heritage』(Georgetown World Heritage Incorporated)Tan Sooi Beng ほか著
[この記事はWAU No.15(2018年3月号)から転載しています。]