建築

マレーシア名建築さんぽ #2 クアラルンプール国際空港(KLIA)

マレーシアは名建築の宝箱。熱帯の気候、多民族のおりなす文化的な多彩さ、また施主と建設技術者の奮闘は、多くの魅力ある建築を生み出しました。それぞれの建物にはマレーシアの社会や歴史、日々の暮らしがよく表れています。また著しい経済成長は、新しい建築を次々に生み出しています。 

ここでは、マレーシアの建築の魅力とともに、それぞれが建てられた時代や背景、その見どころに迫りたいと思います。

朝のクアラルンプール国際空港。「コンタクトピア」方面より(イラスト:©︎宇高雄志)

その2 クアラルンプール国際空港 (Lapangan Terbang Antarabangsa Kuala Lumpur)

設計:黒川紀章(黒川紀章建築都市設計事務所)等
位置:Sepang, Selangor Darul Ehsan
設計施工期間:1992年~1998年、開港1998年
敷地面積:約1万ヘクタール
建築面積:メインターミナル:約4.2、コンタクトピア:約3.7、サテライト:7.9万㎡
構造:鉄筋コンクリート造、屋根:鉄骨造。


曙の空とKLIA

 夜間飛行のあと、早朝のクアラルンプール国際空港(KLIA)着で息をのむのが、曙のマレーシアの空の美しさでしょうか。群青から淡若紫への色の移ろい。薄明の空に切り取られたスカイライン、KLIAの屋根のシルエットがいっそう映えて見えます。

 そして、内部空間の美しさとダイナミズム。あふれる熱帯の緑と光。曲線美をほこる大屋根。巨大な吹き抜けとカラフルなインテリアが、世界の旅人をマレーシアに迎えます。

 航空市場競争が激しくなる中、世界各地に、国家をあげた超巨大空港が建設されています。ただし、これらの空港は少なからず工場のような、無味乾燥な建築が目立つ気がします。多くが灰色に塗りこめられ、内部はどこに行っても同じチェーン店が軒を連ねる・・・。

 そんな空港が多い中、KLIAには、熱帯の植物と木の素材感があふれています。長旅に疲れた旅人も癒やされるでしょう。

マルチメディア・スーパー・コリドー構想とKLIA

 KLIAも開港当初は前途多難でした。各種システムの初期不良はさておき、なによりもクアラルンプールから遠かった。市中から空港まで約50kmの彼方。空港へのアクセスは、しばしば渋滞に巻かれるバスやタクシーを使わざるを得ませんでした。利用者は、なぜこんな不便な土地に新空港を作ったのかと嘆いていました。クアラルンプール中央駅(KL Sentral)と空港を30分余りで結ぶ、高速鉄道のKLIAエクスプレス(KLIA Ekspres)の開通は後のこと。2002年でした。

 しかし、後にKILAの位置は、国土計画の観点でも極めて戦略的だと気付かされました。KLIAの建設計画はマハティール政権下の1990年前後に始まっています。当時の国際空港はスバン空港(Subang)でした。しかしスバンの滑走路は一本しかなく、増加する空港需要には手狭でした。また周囲はすでに市街化しており、思い切った拡張もできませんでした。

 そこで選ばれたのが現在のKLIAの土地でした。これまでクアラルンプール首都圏の開発は「クランバレー」を軸に東西に広がっていました。すでに住宅団地や工場が埋め尽くしていました。

 建て詰まるこの東西の軸を脱して、企図されたのが南に延びる新しい開発軸でした。これが南北50km、東西15kmにおよぶ「マルチメディア・スーパー・コリドー構想」。北から首都のクアラルンプールと「クランバレー」、この南に行政首都プトラジャヤと情報企業が立地するサイバー・ジャヤが並ぶ。そしてさらに南にKLIAが計画されました。この南北軸はさらに開発に余地のあるマレー半島の南のマラッカ、ジョホールの両州の内陸部につながっていきます。世界で「首都移転」構想が膠着する中、この構想は成功例とみることができるでしょう。

 この構想で造成された土地には、元来、油椰子等のプランテーションが広がっていました。これらは英領時代から重要産業でした。しかし、国際競争が激しくなり、また経済成長に伴う生産コストが上昇する中、産業転換が求められていました。その意味でも新首都や空港建設の適地と受け止められたのです。まさしく空港を核にした都市「エアロトロポリス」の出現でした。

出発を待つKLIAエクスプレス(KLIA Ekspres)(写真:©︎宇高雄志)

建築家・黒川紀章

 1990年代前半。マレーシアの大学の建築学生の間では、日本の建築界の話題で持ちきりでした。大学図書館にも日本の建築雑誌が多く配架され、表記は日本語なのに、学生たちが奪い合うように読んでいました。これまでの学生のまなざしは西欧の建築界に向かっていたのに。

 それは建築学生たちが、国をあげての巨大プロジェクト、KLIAが日本人の建築家、黒川紀章によって設計されたことにも影響されたのではないでしょうか。

 黒川は、我が国を代表する建築家。多くの名建築とともに、世界の建築界をとりこにした「メタボリズム建築」の概念と「共生の思想」を提示したことで知られていました。曲線を多用した独特の造形性と、生き物でもない硬いはずの建築が、新陳代謝する。黒川の鮮烈なイマジネーションは世界の建築界のみならず、施主となる為政者や企業家も魅了していました。

 時のマレーシア首相、マハティール・モハマドもその一人でしょう。マハティールはKLIAを大変気に入っていました。黒川紀章は、マハティールが開港式典で「この空港は、マレーシア国民の誇る文化遺産として、必ず次の世代まで伝えてゆく」と述べたことに感動したそうです。

メタボリズム建築:新陳代謝する空間

 黒川らが提唱した「メタボリズム建築」は、都市や建築は、折々の変化に従って形を変え成長する姿が提唱されました。以前の世界の常態であった、建造物を「スクラップ&ビルド」するサイクルから脱して環境負荷を軽減する。構想段階から変化を織り込むことで、循環しうる社会の体系が目指されました。建築の構造体などの大きな仕掛けは維持しつつ、部分を交換し続けることで、建物再生を可能とし次の時代につなぐことができるのです。

 空港建築は、まさしく変化の建物です。旅客や貨物の増減、航空技術の進化、市場ニーズの変化もめまぐるしい。そこで、黒川らはKLIAの設計でもこの「メタボリズム」の考え方を活かしたのです。例えば「メインターミナル」でおなじみの円錐形の柱に曲面の屋根がかかる部分は、これが繰り返し増殖し大屋根となる。今後の変化に応じて増築も可能になります。

増殖するハイテク椰子

 KLIA完成後、あの特徴的な「メインターミナル」の屋根は旅客を驚かせました。ただし、黒川にとってはすでに1960年代に「メタボリズム建築」を構想した時点、また現実の建築プロジェクトでは、山形県の食品工場の建築工事で経験済みでした。この工場の屋根は平面的でしたが、KLIAはすべてが曲面で構成され、造形としても進化しています。

 一方で、KLIAの建築プロジェクトは極めて厳しい与条件でした。当初の予算額は香港国際空港の1/4、工期は設計を含み4年余りと極めて短期間。傾斜した柱、軽やかで有機的な屋根の施工には高い技術が求められました。このため日本の建設会社も参画し施工方法が周到に計画されました。最大で8千人もの技術者が、24時間体制で建設にあたることになりました。

 設計の焦点は、空港の外観を大きく印象づける大屋根でした。吊り橋状に大屋根を支える方法や、波のように大きな鉄骨の屋根が支える方法など様々な工法と形態が検討されました。

「メインターミナル」の屋根には、HPシェル(双曲放物面シェル:hyperbolic paraboloidal shell)と呼ばれる立体構造が採用されました。幾何学的に馬の鞍のように曲面を描くことで、比較的に薄い板でも大きな面を構成する。円錐の柱が支えるこのHPシェルの大屋根は、オイルパームから発想されました。一本一本のそれが増殖し並ぶさまはプランテーションの並木から想起されました。

 このHPシェルのユニット(単位)1基は平面で一辺が約40mもあります。この大きさは屋根の下に設置される航空会社のチェックインカウンターなどの大きさを元に周到に算出されました。これが36基連結されて「メインターミナル」の大屋根になりました。

 このHPシェルのユニットを鉄骨とガラスで製作されたトラス構造の接続部が縫い合わせてゆきます。そこから自然光がターミナル内に落ちます。ゆるやかな曲面で構成される天井にはアルミ表面に木目を施して仕上げられました。柱は円錐形で、表面に御影石が貼られて、柱の腹には空調の吹き出し口も設けられています。

HP(双曲放物面)のイメージ(イラスト:©︎宇高雄志)

新陳代謝する空港

 KLIA建設では、広大な空港全体の配置計画にも開発指針を黒川の事務所が示しています。世界には、空港の建物は美しくとも、周辺の土地利用が乱雑な都市が少なくない気がします。そんな中、KLIA周辺の地域が景観的にも落ちついているのはこれの賜物でしょう。

 空港建築にかかる制約条件は膨大な数になります。厳重なセキュリティー管理。交錯する多種多様な人の動線。もちろん膨大な物資をさばく必要もあります。将来の増改築も想定する必要があるでしょう。建設費や今後のメンテナンスにかけるコストも必須の課題です。

 世界からKLIAに集まる莫大な数の旅客と貨物をさばくべく、道路や鉄道、各種の基盤施設が慎重に計画されていきました。

 KLIAは大きく分けて3種の建物が配置されました。鉄道などで到着した旅客がまず向かうのが、6層(階)の「メインターミナル」。先のHPシェルからなる大屋根がかかっています。上階は出発、中間階に到着、下階に公共交通と分かれます。搭乗手続きなどの後に進むのは、国内線と近距離国際線の搭乗口のある「コンタクトピア」。これが左右に長く横たわります。

 さらに構内鉄道の「エアロトラム」に乗り1.2km先で接続するのが国際線搭乗口のある「サテライト」です。黒川らの当初計画では、国際線の「サテライト」は2棟が計画されていました。現在の「サテライト」からエアロトラムに乗り、しばらくすると、列車は大きく右手に曲がります。このカーブの先にある空地は、もう一つの「サテライト」を建設する用地として確保されています。また「メインターミナル」も東西に5倍の規模の増設が可能となっています。

 それどころか、現在の空港施設の北側の土地には、現在の空港をまるごと建設できるだけの用地も確保されています。こうなると現在のKLIAは、初期の構想の半分以下の規模。まだまだ増設の余地を秘めていることになります。

「メインターミナル」(写真:©︎宇高雄志)
「メインターミナル」から外部への眺望(写真:©︎宇高雄志)

「森の中の空港、空港の中の森」

 KLIAから旅立つのは、雨の日がより素敵だと思います。国際線搭乗口のある「サテライト」にはジャングルがあります。建物のど真ん中に、直径が40メートルにおよぶ森がガラス越しに見えます。スコールの時には曲面のガラスに雨が滝のように流れて、まるでカンポンの家の軒先で雨宿りをしている気分になります。雨上がりにはジャングルに光が差し込み、空高くたちあがる積乱雲が見えます。

 このジャングルは人工の森です。空港の地盤面よりも15メートルほど高い人工地盤の上に築かれました。中央に滝が設けられ、緩やかな斜面地には、マレーシア原種の樹木が厳選され、高低の樹木が共存するように植えられました。

 前述の通り、KLIA敷地は元プランテーションでした。KLIAの敷地は1万ヘクタールに及びます。実は、敷地のかなりの大面積が緑地として保全されています。この先長い時間をかけて熱帯雨林に再生する構想です。「メインターミナル」周辺にも同じように森が設けられています。しかし空港内に大きな森を育てることは、航空機エンジンに野鳥を巻き込むバードストライクを誘発しかねないため留意も必要でした。

「サテライト」の内部。曲面の屋根を支える柱(写真:©︎宇高雄志)

変貌するクアラルンプール国際空港

 1998年のKLIA開港以降、アジア経済危機をはじめ、幾度もの減少期を経験しています。それでも空港利用者は増加を続けています。コロナ禍直前の2019年の年間利用者数は、約6200万人に達しています。

 KLIA計画以降、格安航空会社が航空市場を拡大する中、2006年に格安航空会社(LCC)・専用ターミナル(閉鎖済み)が、2014年にはLCCの発着する第2空港施設であるKLIA2が開港しています。

 KLIA2がすでに建設されている現在、マハティール元首相や黒川紀章らが夢みた新陳代謝する空港を、この先、見ることができるのでしょうか。それでも、クアラルンプール国際空港に実現した、生き物のように新陳代謝しうる建築や、緑あふれる空港の姿は、世界の空港建築の発展のメルクマールとして記憶されるのではないでしょうか。


写真、イラスト:宇高雄志

 (*1)  黒川紀章 [1934-2007年]。愛知県生まれ。京都大学、東京大学・大学院で建築学を修めた。自らの建築設計事務所を立ち上げつつ、1960年代、時代とともに変幻しうる都市空間を構想し「メタボリズム」から建築のありかたを提唱。若手建築家らとともにグループを組織。世界の建築界から注目された。主な作品に中銀カプセルタワー(1972年)、国立民族学博物館(1977年)、国立新美術館(2006年)などで世を驚かせた。若尾文子と結婚。晩年に都知事選(2007年)に出馬したことも記憶に新しい。
(*2)  日東食品山形工場(山形県寒河江市、竣工:1965年)。現・日東ベスト寒河江工場。黒川紀章の初期作で、KLIAの発想の源流とされています。

主な参考文献

  • 日経アーキテクチュア・編、1998『クアラルンプール国際空港』日経アーキテクチュアブックス、日経BP社
  • John Kasarda, Greg Lindsay, 2012, Aerotropolis: The Way We’ll Live Next, Penguin.
  • Chen Voon Fee (ed.), 2007, Encyclopedia of Malaysia V05: Architecture: The Encyclopedia of Malaysia, Archipelago Press.

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宇高 雄志(うたか・ゆうし) 兵庫県立大学・環境人間学部・教授
建築学を専攻。広島大学で勤務、シンガポール国立大学、マレーシア科学大学にて研究員などを経て、現職。都市や建築空間にみる多様性と調和について研究しています。学生時代から様々な建物を求めてアジア諸国を放浪。マレーシアの多様な民族の文化のおりなす建築の多彩さに魅かれています。ジョホール州に半年ほど、その後、ペナン州に足かけ3年間滞在しました。家族のように思える人とのつながりが何よりの宝です。(ウエブサイト:https://sites.google.com/site/yushiutakaweb/nyusu

※ 本コラム「マレーシア名建築さんぽ」(著者:宇高雄志)は、最新版のみ期間限定掲載となります。写真、イラスト等を、権利者である著者の許可なく複製、転用、販売などの二次使用は固くお断りします。
*This column, “Malaysia’s Masterpieces of Architecture” (author: Prof. Yushi Utaka) will be posted only for a limited period of time. Secondary use of photographs, illustrations, etc., including reproduction, conversion, sale, etc., without the permission of the author, who holds the rights, is strictly prohibited.

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