建築

マレーシア名建築さんぽ #1 マレーシア国立モスク

マレーシアは名建築の宝箱。熱帯の気候と、多民族のおりなす文化的な多彩さは、また施主と建設技術者の奮闘で、多くの魅力ある建築物を生み出しました。それぞれの建物にはマレーシアの社会や歴史、日々の暮らしがよく表れています。また著しい経済成長は新しい建築をどんどん生み出しています。

ここでは、マレーシアの建築空間の魅力とともに、それぞれが建てられた時代や背景、またその見どころに迫りたいと思います。

モスク北側から。右側の屋根は礼拝室上部の大屋根。ミナレットが見える(イラスト:©︎宇高雄志)

その1 マレーシア国立モスク:緑と水をまとう白亜の空間

名称:マレーシア国立モスク (Masjid Negara Malaysia)
設計者:連邦政府・公共事業局 (Jabatan Kerja Raya) 
担当建築家:Howard Ashley, Ikmal Hisham Albakri, Baharuddin Abu Kassim
位置:Jalan Perdana, Tasik Perdana, Kuala Lumpur
竣工:1965年
建築面積:約1.5万㎡、敷地面積:約5.2万㎡
構造:鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造。
高さ:73m(ミナレット)


独立を記念して「マレーシア」のモスクを建てること

国立モスクはマレーシアでもっとも美しい名建築の一つだと思います。KTMクアラルンプール駅の西側に建つ、マレーシアを代表するモスクです。ここで、一万人近い人々が祈ることができます。建築後60年弱にもなりますが、いまなお斬新です。

鋭角的な塔のミナレットと、大きな星形の傘を伏せたかのような、スカイブルーと白亜の大屋根が目を引きます。それらを水平に広がる屋根がつないでいます。

古くはマレーシアのモスクは、例えばマラッカでは四角錐を重ねたような屋根がかけられていました。その後、玉葱型のドームを掲げてカラフルな色づかいの意匠が多くで選ばれていました。そんな中、この白亜の国立モスクの斬新さは時代を超えています。

 国立モスクはマレーシアが、英国の植民地支配下から1957年に独立(マラヤ連邦)してほどなく建てられました。このころ首都クアラルンプールを中心に、独立を記念するスタジアム、博物館など多くの国立の施設が建てられました(*1)。国立モスクはその代表格でしょうか。

独立後まもなくモスク建設の計画が始まります。当初、モスクの名称はマレーシア独立の立役者で初代首相のトゥンク・アブドゥール・ラーマン(*2)の名を冠する案もあったそうです。これには元首相みずからが断り、マレーシア国立モスクとなったそうです。

人々の奮闘。新しい造形と技術

新生国家にとっても特別な建築物、国立モスクを建てる関係者の意気込みは相当でした。図面を引いた設計者や工事を担当した建築技術者らもどれほど発奮したでしょうか。当初は、複数の設計者が設計案を提出し、これを審査して最終案を決定する建築設計競技も企画されましたが行われませんでした。結局、建設事業は政府・公共事業局が担うこととなりました。また独立直後でいまだ経済が不安定な中、建設の財源にも限りがありました。建設費は政府や州、また中国系やインド系の団体からも寄付が寄せられました。
当時の公共事業局には英国人ら多くの外国人建築家が働いていました。主導した建築家はスコットランド人建築家のハワード・アシュレイ(*3)でした。彼の下で設計を担当したのが当時30代だった、イクマル・ヒシャム・アルバックリ(*4)と、バハルッディン・アブ・カシム(*5)でした。二人とも英国で建築学を学び帰国。同局で働いていました。二人は後にマレーシアの建築界を代表する建築家となります。

 モスクの敷地はトゥンク・アブドゥール・ラーマン自らが選びました。独立前後のクアラルンプールの地図を見ると、西に豊かな緑に包まれた緩い丘が、東はクアラルンプール駅、そしてクラン川の流れがあります。その対岸は賑やかなチャイナタウンなど市街地があります。建設敷地には元は鉄道や警察関連施設や教会が建っていましたが市内に移転しました。

こうして敷地が決められた後、土地造成と基礎工事が行われました。これに二年余りを要しています。モスクは緩傾斜地を造成して建てられました。正面玄関はクアラルンプール駅の方にひらいています。鉄道が重要な交通手段だった往時、汽車で首都に着いた旅人にもこのモスクの姿が見えたでしょう。東側の駅側から、何段かにわけて自然に礼拝室にむけて上がってゆくようになっています。礼拝室の下階は事務所や集会施設などがあります。

祈りの空間として。水と日陰と静寂。

モスクはイスラームの聖地であるメッカに向かって祈る場です。国立モスクでも、メッカの方向に向かう軸(キブラ)に自然により沿うように、玄関からの動線が据えられています。

国立モスクの建物は大きく4のブロックで構成されています。傘を伏せたような大屋根の部分に礼拝室があり、その周りを回廊が囲んでいます。回廊を通じてモスクの中の他の部分に行くことができます。小さな屋根の方は国家首脳の眠る霊廟になっています。この霊廟の中央の床はランカウイ島産の黒大理石で仕上げられマレーシアの紋章が刻まれています。

礼拝室には絨毯が敷き詰められています。壁や柱にはアラベスクの装飾が石彫やモザイクタイルで施されています。壁龕(へきがん:壁のくぼみ)であるミフラーブの周辺には金彩が、また礼拝室上部はステンドグラスが嵌められ緩やかな色とりどりの光が礼拝室に満ちています。天井は大屋根の内側が見えます。

回廊の壁(写真:©︎宇高雄志)
アラベスクの格子(写真:©︎宇高雄志)

外は喧騒の大都会ですが、モスクでは礼拝以外の時でも、人々が瞑想したり休んだりしています。あわただしい日々の暮らしの中で、心を落ちつけて、祈りや瞑想のひとときがあるマレーシアの暮らしは豊かに思えます。

礼拝室を回廊が取り囲んでいます。平面上で格子状に配置された160本余りの柱が回廊の屋根を支えています。モスクは一見して白亜の空間ですが細部のいろどりは豊かです。特に、柱のデザインは繊細な仕上がりで、例えば礼拝室の前室の柱にはアイボリーの細かな色タイルが張られる一方、柱の脚元と上端には金彩のタイルが選ばれています。そして柱の上方は逆角錐のまま広がり天井となる「マッシュルーム・コラム」となっています。こんな柱が林立し幾何学的な室内空間を形作っています。

床は光沢のあるテラゾ(細かな石材をセメント等で固め磨き上げた人造石)で仕上げられています。ひんやりと冷たく気持ちが良い肌触りです。この床に、外光が乱反射して映り込み、一瞬上下の感覚をうしないそうになります。特に礼拝室の前室は柱が林立し、天井からも光が落ちており荘厳です。

回廊 (写真:©︎宇高雄志)

回廊の建物の外との仕切りとなる壁は、アラベスクの格子です。格子の隙間からは外部の街や森がみえるのですが、ガラスなどの遮蔽はありません。熱帯のマレーシアの建物としては、自然に換気が行われ熱気がこもらない合理的なデザインです。モスクの回廊は外部の強烈な日差しを遮り、涼を与える日陰の空間です。この陰は、炎天下から木陰や民家の軒先に入ったときのほっとした気持ちを礼拝者に与えているでしょう。 

モスクの建物の周りは水盤が巡らされていて、水の上に浮いているように見えます。水盤の一部はモスクの回廊の内側にも引き込まれています。ミナレットがそそり立つ姿も水面に映っています。この水盤に添えられた噴水がさざ波をつくり何とも涼しげです。

天空を衝くミナレット。広がる大屋根

モスクの外観で、特に目を引くのは、大小2か所の大屋根と塔のミナレットでしょう。星形の傘を伏せたようにみえる大屋根は鉄筋コンクリート造の折板構造です。折板構造とは折り紙のように、板状の構造体を小さく折り曲げることで耐力を増す工法です。これにより内部の柱の本数を少なくし、また部材を薄く軽快にできます。モスクの大きな礼拝室でもその中央に柱を設ける必要がなくなります。屋根の大きさに比べて足元はスリムに作られています。特に小屋根の霊廟の地面に接する部分の裾はとても細く、屋根が宙に浮いているかのように見えます。大屋根は、竣工時は別の色でしたが1987年の大改修で現在のスカイブルーのタイルにかえられました。

霊廟の屋根(写真:©︎宇高雄志)

ミナレットの高さは73mあります。白い細やかなタイルでおおわれています。モスクのほかの部分が、地形により添うように水平に広がる中で、白亜の鋭い尖塔は空を衝くように見えます。ミナレットの平面は下段から正方形で、その中段に欄干のつくテラスが設けられています。上段は、傘を折りたたんだ形だとされる先端が、さらに鋭さを増しながら天を衝く。その先端には三日月に星の印が掲げられています。

鋭角的なミナレットとドームが、背景の熱帯の空との輪郭、スカイラインを描き出しています。国立モスクは、建設当時、世界を席巻したモダニズム建築(*6)の技法に則りつつ、一方では、マレーシアの気候や文化が色濃く映し出されました。モスクの回廊はマレー民家の開放性から発想され、また鋭角的なモスクの屋根はマレー民家の傾斜屋根を参照されたとのことです。これまでにあったモスクの形態にならわず、随所に新しい形態を試みたことは、まさしくマレーシアの独立を記念し、新しい国家を建設する意気込みの表れでしょう。

国立モスク建設に続いて国内各地に建設された州立モスクでも独自の建築デザインが目指されました。国立モスクはその先鞭ともなりました。

モスク西側から。手前の屋根は霊廟。奥に礼拝室上部の大屋根が見える(イラスト:©︎宇高雄志)

 (*1) シンガポールの建築史家のライ・チーキアンはこれらの建築物を「メルデカ建築」と呼んでいます。
(*2) Tunku Abdul Rahman・トゥンク・アブドゥール・ラーマン[1903-1990]。独立したマラヤ連邦で初代首相を務めた。ケダ州生まれ。名門の出身であり英国に留学。帰国後、独立に向けて政治活動をはじめた。
(*3) Howard Ashley・ハワード・アシュレイ。スコットランド生まれ。同局で1952年から11年間にわたり建築家として働きつつマレーシア人の建築家を育てました。
(*4) Ikmal Hisham Albakri・イクマル・ヒシャム・アルバックリ [1930-2006]。英国シェフィールド大学、英国AAスクール卒業。帰国後、公共事業局で8年間勤務。1964年に建築設計事務所(Kumpulan Akitek)開業。主な作品にUMNOビルディング、プトラ・ワールドトレード・センター、国立図書館など。マレーシア建築家協会(PAM)会長などを勤める。
(*5) Baharuddin Abu Kassim・バハルッディン・アブ・カシム [1929-]。セランゴール州出身。英国マンチェスター大学で学ぶ。1974年に建築設計事務所(Jurubena Bertiga International Partnership)開業。サバ州立モスクなど国内で多くのモスクの設計を行った。
(*6) 1920年代以降、世界的を席巻した建築様式で、建築空間の合理性や機能性を重視した建築様式。従前の建築様式のように装飾を纏った形態を脱して、より明快で軽快なデザインが志向された。材料や構造には、世界の工業化の進展により、コンクリート・鉄・ガラスが用いられた。これにより軽快な形態が実現可能になった。マレーシアでも独立期以降、このモダニズム建築で建物が多く建てられている。

主な参考文献

  • Chan Chee Yoong (ed.), 1987, Post-merdeka architecture Malaysia, 1957-1987, Pertubuhan Akitek Malaysia.
  • Chen Voon Fee (ed.), 2007, Encyclopedia of Malaysia V05: Architecture: The Encyclopedia of Malaysia, Archipelago Press.
  • Pertubuhan Akitek Malaysia (ed.), 2007, Architectural Heritage: Kuala Lumpur – Pre-Merdeka, Pertubuhan Akitek Malaysia.
  • Lai Chee Kien, 2007, Building Merdeka: Independence Architecture in Kuala Lumpur 1957-1966, Petronas.

皆様のご感想やおすすめの建物を電子メールにてお送りください。コロナ禍で容易に取材に行けないことから写真やイラストは、過去に撮影・作成したものも使用しています。建物によっては一般公開されていない部分もあります。ご訪問の際には事前に訪問先のウェブサイトなどをご確認ください。(宇高雄志:utakacontact@gmail.com) 

宇高 雄志(うたか・ゆうし) 兵庫県立大学・環境人間学部・教授
建築学を専攻。広島大学で勤務、シンガポール国立大学、マレーシア科学大学にて研究員などを経て、現職。都市や建築空間にみる多様性と調和について研究しています。学生時代から様々な建物を求めてアジア諸国を放浪。マレーシアの多様な民族の文化のおりなす建築の多彩さに魅かれています。ジョホール州に半年ほど、その後、ペナン州に足かけ3年間滞在しました。家族のように思える人とのつながりが何よりの宝です。(ウエブサイト:https://sites.google.com/site/yushiutakaweb/nyusu

※ 本コラム「マレーシア名建築さんぽ」(著者:宇高雄志)は、最新版のみ期間限定掲載となります。写真、イラスト等を、権利者である著者の許可なく複製、転用、販売などの二次使用は固くお断りします。
*This column, “Malaysia’s Masterpieces of Architecture” (author: Yushi Utaka) will be posted only for a limited period of time. Secondary use of photographs, illustrations, etc., including reproduction, conversion, sale, etc., without the permission of the author, who holds the rights, is strictly prohibited.

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