マレー半島で暮らすオラン・アスリ。25000年前にマレー半島に来住したといわれる先住民族で、言語、家族制度、儀礼など、村ごとに独自の文化をもっています。20年以上前からオラン・アスリの村でフィールドワークを続ける国立民族学博物館の信田敏宏教授。「トゥムアン」の今と昔、「マー・ムリ」の彫像という2つの視点で語っていただきました。
トゥムアンの
変わりゆくもの
変わらないもの
■内陸部で暮らす人々
クアラルンプールから車で約2時間。ヌグリ・スンビラン州の内陸部で暮らしているのが、トゥムアンとよばれる人々です。外見はマレー人に似ていますが、彼らの多くはアミニズムに近い土着の宗教を信じています。約100年前までは狩猟採集を主な生業としていましたが、現在はアブラヤシやゴムの栽培、教師や公務員などへの就業、都市への出稼ぎなどで現金収入を得て生活をしています。
私がフィールドワークを始めた20年前は、市場経済や近代化の影響で、今後オラン・アスリの世界は消えてしまうのではないか、という不安がありました。ところが2017年に村を再訪して感じたのは、その逆のことでした。オラン・アスリの世界はこれからも続いていくでしょう。なぜなら彼らの社会には、今でもなお、助け合い、分かち合いの関係性があり、そうした関係性は彼らの暮らしに安心感をもたらすと同時に、社会の変化に柔軟に対応するための機能を果たしているからです。
■母系制が半数を占める
オラン・アスリは、夫婦と子という核家族で暮らすのが一般的です。これは日本と同じですが、その結びつきは大きく異なります。たいてい親族が近所で暮らしているので、いつでも勝手にドアを開けて家に入ってきますし、子どもの世話は親族や村人みんなで行うのが基本。家族内でなにか問題が起これば、それはすべて村の人たちと分かち合い、人々のつながりのなかで解決されていきます。このような関係性は20年前も今も変わっていません。
また、特徴的な親族制度として挙げられるのが、母系制。村の約半数の家族は母系の慣習法(アダット)に従っています。アダットでは、プルットとよばれる同じ母系グループ内での結婚は禁止。農地や家屋は妻の所有とみなされ、男性は妻方の家に居住します。ほかにも、父系制や双系的な親族制度があり、様々な事情によって臨機応変に許容されています。
■しなやかに生き抜く人々
1990年代以降、エコ・ツーリズムとよばれる観光業の人気が高まっており、オラン・アスリの村でも、観光客向けのホームステイやハイキングロードの整備に取り組んでいます。インターネットの普及によって、自分たちの存在を外に発信できるようになったこと。また、SNSのつながりから、他の民族への警戒心が薄まっているのを感じます。
オラン・アスリはもともと森を移動しながら生活する民だったので、所有物に対する関心はあまりありませんでした。ただ最近は、結婚衣装や家の飾りにオラン・アスリの特徴を表現するようになっています。これは、外部とつながることで、自分たちは何者かというのを意識し、主張することが大事になってきたからでしょう。また、先住民を支援するNGOの動きが世界的に広がっており、今までつながりのなかったボルネオ島側の先住民族と知り合う機会も増えてきています。歴史に翻弄されながら生き延びてきたオラン・アスリ。彼らは、グローバル化という激動の時代もまた、たくましく生き抜いていくことでしょう。
彫像に表現される
マー・ムリの世界
■万物の事象に精霊が宿る
スランゴール州カレイ島に暮らすセノイ系のマー・ムリ。彼らは木彫りの彫像文化をもっています。彫像は高さ30~50センチほどの大きさで、モチーフはこの世のあらゆる事象に宿る精霊たち。大地、うずまき、つむじ風、カボチャ、トラ、ウシ、カブトガニなど約100の精霊が確認されています。災害や病気の治癒の祈りの儀礼に使われ、たとえば嵐が起こると、嵐の精霊の彫像に供物をそなえ、嵐がおさまったら燃やします。そのほか、夢のお告げに従って彫ることもあるようです。
現在は40人ほどの男性の彫師が、昼間は漁業やアブラヤシのプランテーションで働き、夜間や休日に彫像を制作しています。細工が非常に細かく、ユニークなデザインの彫像は世界的にも評価が高く、妖怪好きで知られた水木しげるさんが買い求めたり*、ユネスコから賞をもらった彫師もいます。
つむじ風の精霊
作者:Amiran Amir
【逸話】 つむじ風の精霊になったのは7人姉妹の一番下の妹。精霊は繰りかえし「悪天候のとき、雨や風に悪態をついたり、腹を立てたりすると、災いがもたらされる」と警告していた。つむじ風の精霊は、干ばつの際に雨を降らせる優しい精霊であり、禁忌を破った人には彼らを懲らしめる破壊的な精霊でもある。
サンゴの精霊
作者:Razali Sayar@Jany
【逸話】 ある男が釣りをするために海に行ったところ、精霊の仕業で行方不明になった。男の息子が探しにいったが、見つからない。すると息子の夢にサンゴの精霊が現れ、「私はサンゴになった」と言った。
エビの精霊
作者:Mizan
【逸話】 ある男の子がエビを採ってきて、母親に調理を頼んだが、父親が食べてしまった。がっかりした彼は再び海に行き、エビを採っている最中に、仕掛けた網に引っかかって沖に流され、溺れてしまった。彼はエビの精霊になった。
岬の精霊
作者:Amiran Amir
【逸話】 昔、ある男が食料を探しに出かけたところ、病気になってしまった。岬で小便をしたことが原因だったのだ。もし小便をしてしまったら、岬の精霊に、彫像とビンロウの実と葉を捧げなければならない。岬には禁忌が多く、無視すると病気になるだろう。
ウシの精霊の仮面
作者:Embing Lipat
【逸話】 ある男が魔の手に取り憑かれ、村を追放された。空腹に耐えかね、草を食べようとすると、神様から「食べてはいけない」という忠告を受けた。無視して食べ始めたところ、顔がみるみる変わっていった。「お前は変われる。だが、人間にはなれない」という神様の言葉どおり、男はウシになり、病気にならなくなった。
オラン・アスリの歴史
- 太古からマレー半島で暮らしていたオラン・アスリは、外国からの移住者に追いやられる形で内陸の熱帯雨林の森に移り住んだと推察される。伝統的に狩猟採集民や焼畑耕作民であり、呪術や森の精霊に対するアミニズムなど独自の文化をもっている。家や調理道具などは身の回りにある自然素材を加工して手作り。しかしながら現在は、森林環境の破壊で生活スタイルが変わり、これらの技術は失われつつある。
- オラン・アスリは、文化的、民族的、言語的に多様性に富んでいる。というのも、オラン・アスリという名称は政府が付けたもので、いくつものグループの総称であり、彼ら自身にまとまった民族意識はない。ちなみに、マレー半島の先住民族をオラン・アスリとよび、ボルネオ島の先住民族をそう呼ばないのは、このような政治的な理由による。
- 現在は、インターネットやSNSの普及、国際NGO活動の影響から、マレーシア全体の先住民の連携の動きがうまれている。先住民族をつなぐシンボルとして、彼ら自身から「オラン・アサル」という新しい名称の提案も出ている。
信田敏宏
国立民族学博物館・
グローバル現象研究部教授
社会人類学、東南アジア研究を専門とし、とくにマレーシア先住民に関する人類学的研究を長年続けている。「オラン・アスリの家族は、助けい合い、分かち合いながら生きてきました。それは過酷な生活環境のなかでの唯一の生存戦略であったといってもいいでしょう。NGOという新しい水平的なつながりが加わり、助け合いがどのように発展していくのか。さらなる研究を続けていきます」と信田教授。
『家族の人類学―マレーシア先住民の親族研究から助け合いの人類史へ』
(臨川書店/信田敏宏著)
「森の民」と呼ばれるオラン・アスリの家族関係に焦点をあて、具体的な事例とともに人類史的な視点で紹介。オラン・アスリの歴史の中で、失われたものではなく、失われていない大事なものを描き出した名著。
国立民族学博物館 (みんぱく)
大阪万博の跡地に建設された世界最大級の民族学コレクションを所蔵する博物館。民族学や文化人類学の研究者が、研究と調査によって世界各地から収集した標本や物の資料は34万5千点以上。歩くと4キロにもなる広大な展示館のなかにマレーシアコーナーもあり、上記の彫像が見学可能。ほかに影絵人形(WAU19号)や太鼓(WAU25号)も展示されている。
取材/古川音 Oto Furukawa 写真/信田敏宏、国立民族学博物館(彫像、仮面、表紙)
*参考図書『水木しげるの妖怪探検』(講談社文庫、水木しげる・絵、大泉実成・文)