15〜16世紀、マラッカ王国は、大航海時代、海のシルクロードの寄港地として各国から人々が集まり賑わうコスモポリタンでした。ポルトガル、オランダ統治を経て、英国によりマラッカ、ペナン、シンガポールが海峡植民地となると、錫鉱山の開発やヨーロッパとの貿易などの事業を成功させた プラナカン(※1)たちは巨万の富を築きます。そして、マラッカに居を構えていたプラナカンたちは、新たな商売の拠点としてシンガポールやペナンに移っていきました。現在でも、この三都市を巡るとプラナカンが暮らし、繁栄を極めた歴史と文化を垣間見ることができます(※2)。
プラナカン屋敷は、ショップハウス が代表的。もともと中国南部から広がった、店舗と住居としての機能を兼ね備えた建築様式です。植民地時代、間口の幅で税金が決まったことから、間口は狭く、奥行きが驚くほど長い構造が特徴。玄関を入ると、まず煌びやかに装飾された応接間があり、先祖を祀る祭壇、風の通りや明り取りを考えた吹き抜けの中庭、ダイニング、台所、そしてトイレや浴室が奥へと続きます。2階が寝室になっています。
マラッカでプラナカン屋敷を訪ねるなら、「ババ・ニョニャ・ヘリテージ博物館」を見学し、ショップハウスが並ぶヒーレン・ストリート、別名億万長者通り を歩くと往年の栄華を感じられるでしょう。パステルカラーが美しい陶器 ニョニャ・ウェアやビーズ刺繍サンダル を揃えるアンティークショップも並んでいます。
ペナン島では、19世紀末、この地域の中国人を統括していた大富豪チュン・ケンキーが建てた豪邸をプラナカン様式に整備した「ピナン・プラナカン・マンション」は必見。暮らしの細部まで贅を尽くしたプラナカン文化の特徴は、東洋と西洋の文化を折衷した独自の文化を築いたこと。アンティーク家具、螺鈿細工が輝く調度品、透かし彫りを施した重厚な木製の間仕切り、イギリス製の床タイル、スコットランド製アイアンワーク、どれも繊細な装飾が息をのむほど美しいのです。
※1 プラナカンについてはWAU Galleryを参照。
※2 2008年、マラッカ(ムラカ)とペナン島のジョージタウンは、「マラッカ海峡の歴史的都市群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。
Sun Yat Sen Musuem – 孫文博物館
プラナカン様式の建築が見学できるスポット
1910年、辛亥革命の前年、孫文(孫中山 Sun Yat Sen)は革命のための資金集めを目的にペナン島に滞在。活動拠点の一つとなった建物が「孫文博物館」として公開されています。この建物は、海峡植民地時代の商人の屋敷の代表的な構造です。文化遺産保護活動のリーダー的存在であり、長年にわたり「ペナン・ヘリテージ・トラスト*」を率いて精力的に活動してきたクー・サルマさんのお祖父さんが所有していたもので、サルマさんも一時期暮らしていたというプラナカン屋敷です。現在はサルマさんによって、歴史的建築の特徴を大切に維持しながら管理されています。1880年頃に建てられた奥行き40mのショップハウスで、吹き抜けの中庭、透かし彫りを施した重厚な木製の間仕切りや台所など、プラナカン様式の建物を見ることができます。
DVD
『孫文―100年先を見た男』
(原題:『夜・明 Road to Dawn』)
孫文博物館がロケ地になった映画。またペナンの人気スポット「ブルー・マンション」の名で知られる「チョン・ファッ・チィー・マンション」も登場する。革命資金調達のためペナン島に潜伏した革命家、孫文の軌跡を追った歴史ドラマで、プラナカン屋敷を堪能しよう。
BOOK
『Sun Yat Sen in Penang』
Khoo Salma Nasution著
(Areca Books, 2008)
ペナン島における孫文の歴史秘話をまとめた、クー・サルマさんの著書
孫文博物館INFO
住所:120 Armenian Street, George Town, 10200 Penang
URL: sunyatsenpenang.com
開館時間:
9.00am – 5:00pm(火〜土)
1:00pm – 5:00pm(日)
月曜は定休日
入場料:一般 RM5/学生 RM3
孫文博物館のオーナー、
文化遺産保護活動のキーパーソン
Khoo Salma Nasution
クー・サルマ・ナスション
文化遺産保護活動のほか、出版社「Areca Books」を設立し、本を執筆、編集し、ペナンの町の歴史、文化を書籍として出版。現在は、環境活動家として若者たちとともに環境保護団体を立ち上げたり、ハーブ・薬草の研究も始めています。彼女の活動をつなぐ糸は、自身のプラナカンというルーツ。「ペナンの特徴であるマルチカルチュラルリズム(多文化主義)に興味があり、その歴史・文化を残したいのは、プラナカンである自分自身の文化遺産に通じるものだから」だといいます。
取材・文/上原亜季 Aki Uehara
取材協力・写真(孫文博物館)/Khoo Salma Nasution
写真/Oh Chin Eng