[この記事はWAU No.9(2016年9月号)の巻頭記事から転載しています。]
多くのイギリス人に愛され、多くのマレーシア人が誇りに感じるアドゥ氏の料理。なぜこんなにも、たくさんの人を魅了するのか。その答えは、マルチカルチュラルなアドゥ氏の生き方にありました。
イギリスから始まった
自分のことを「究極のマレーシア人」と表現するアドゥ氏。マレー、中国、インド、インドネシアという、それぞれ異なる文化圏で育った祖父母を持つ、マレーシアの料理家です。
22歳で料理の道を志し、料理学校で学んだあとイギリスへ。それから3年後の2000年、ロンドン橋の近くに開店したレストラン「チャンプル・チャンプルChampor-Champor」のエグゼクティブ・シェフに就任。チャンプル・チャンプルとは、マレーシア語でミックス!混ぜ混ぜ!という意味。その名のとおり、マレーシアの料理に、西洋や他のアジアの国の調理法を取り入れた新しいスタイルで提供。スパイスや辛味の効いたエキゾチックな味は、多くのイギリス人を魅了しました。
2011年、マレーシアに活動の拠点を移し、テレビ番組の出演や料理本の出版など仕事の幅を広げます。なかでも、料理番組「マスターズシェフ・マレーシア」の審査員出演によりマレーシアを代表するセレブシェフへ。2016年4月に「キャンティーン byシェフアドゥ」をクアラルンプールに開店。2019年4月にバングサに移転し、現在は「アドゥ・シュガーレストラン Adu Sugar Restaurant」のオーナーシェフとして腕をふるっています。イギリス人に愛されたアドゥ氏の料理が、母国マレーシアでも味わえるようになりました。
定義にしばられない
アドゥ氏の料理の魅力。それは、ジャンルや固定観念にとらわれない自由な発想にあります。たとえば、日本のだしを「繊細で奥深い味わいが、料理をエレガントに仕上げてくれる」と考え、あらゆるノンベジタリアン料理の隠し味として使用。また、醤油のかわりに日本の味噌を使い、味に深み出すこともあるそうです。
この発想の原点は、アドゥ氏の子ども時代の食卓にありました。「わが家の食卓には、普段からインド料理、中国料理、マレー料理、ジャワ料理といった様々な料理が並んでいた。中国系の祖母は、ジャワ民族の養父母に育てられていて、ジャワ料理も得意だったんだ」。たとえば、ある日の夕飯はマレーシアで人気の「アッサムペダス(酸味と辛味のある魚スープ)」、その翌日はインドネシアでよく食べられている「サンバルゴレン・ジャワ(豆腐やテンペなどを炒めたもの)」。民族を超えて、国を超えて、一般に語られる食文化という概念も飛び越えて。いろんなジャンルの料理が、ひとつのテーブルの上で食事を組み立てることは、アドゥ氏にとってはごく普通のことなのです。
料理という名の芸術作品
アドゥ氏は「料理はアート表現」と語ります。それは画家が絵を描くように、写真家が写真を撮るように、アドゥ氏は自分の世界観を皿の上で表現するのです。料理人として喜びを感じる瞬間は?と聞くと「空になった皿を見るとき」と。「おいしかった。心地よい時間が過ごせた。思い出に刻まれた。そんなふうに、食べてくれた人の心を動かせたことが、何よりもうれしい」と付け足します。
「僕は、じぶんで思い描いたとおりの人生を歩んでいる極めて幸運な人物」というアドゥ氏は、最後にこうメッセージをくれました。「あなたの心を動かしているものは何か?あなたを成長させてくれるものは何か?あなたを変えてくれるものは何か?それをシンプルに愛すこと。それが僕のモットーです。」どう生きるべきかはすべて自分が知っているのです。
Chef Adu Amran
アドゥ・アムラン シェフ
ジョホール州出身
「Adu Sugar Restaurant」のオーナーシェフ。TV出演、料理本の出版など多方面で活躍。15年間イギリスで料理の腕を磨き、モダン・マレー・アジアンという独創的な料理をあみだす。夢は、読んだ人すべてが美味しく作ることのできる“究極のマレーシア料理本”を制作すること。
ADU Sugar Restaurant(2019年4月18日よりOPEN)
10a, Lorong Ara Kiri 2, Lucky Garden, Bangsar, Kuala Lumpur
Daily,12:00〜15:00、18:00〜23:00、Mon Close
出身地のジョホール料理を中心に、伝統的なマレーシア料理を提供。看板料理は、カレー味のソースを絡めた麺料理「ミー・バンドゥン」、生野菜たっぷりの「ジョホール・ラクサ」など。(詳細はこちら)
取材・文 Oto Furukawa (Malaysia Gohan kai)
写真提供 The Canteen by Chef Adu