多民族が暮らすマレーシアは、映画もまた多彩です。上映される映画は、マレー語、中国語、タミル語など、さまざまな言語が飛び交い、ストーリーのなかで語られる文化や習慣は作品によってガラリと変わります。同じ国の映画とは思えない多様性。それがマレーシア映画の特徴です。
マレーシア人の娯楽である映画
マレーシアでは、多様な言語の映画が常に上映されています。お隣の国のインドネシア映画やタイ映画、ハリウッド映画はもちろん、ボリウッド映画、日本映画も豊富に上映されています。映画館は都市部を中心に多数あり、料金は9〜20リンギット(約300〜600円)。また、ハリウッド映画の公開時期は日本より早く、公開本数も多いという恵まれた映画環境。人気の作品は、マレー語、中国語、タミル語の字幕で、スクリーンの3分の1ほどが埋め尽くされる…といった光景は多民族国家ならではです。ドラマ、コメディ、ホラー、アクション、アニメなど、上映映画のジャンルは多様で、とくにサスペンスやアクションがマレーシア人に好まれています。
マレーシア映画の変遷
1933年に最初のマレー語の長編映画が作られ、その後50〜60年代に黄金期を迎えます。映画監督であり、俳優であり、歌手であり、作曲家というマルチな才能をもつP.ラムリー氏が活躍したのはこの時代。彼の映画は大ヒットし、50年以上たった今でもテレビで放映されています。そして1957年、マレーシア人なら知らない人はいない吸血女『ポンティアナ』が映画化され、ホラー映画のジャンルが誕生。その後一時期、マレーシア映画は停滞期にあったのですが、2000年代に「マレーシアニューウェーブ(マレーシア新潮)」と呼ばれる監督たちによる作品が、多くの国際映画祭で評価され、日本にも上陸。第18回東京国際映画祭では、ヤスミン・アフマド監督の『細い目』が最優秀アジア映画賞を受賞したのをはじめ、第19回には『マレーシア映画新潮 ヤスミンの物語』として、ヤスミン監督の4作品を含む9作品が特集上映されました。日本人のクオーターでもあったヤスミン監督は、次作を日本で撮影することを計画しながらも2009年に急逝。その年の第22回東京国際映画祭では、遺作となった『タレンタイム』が追悼上映されました。2015年、六本木で開催された「マレーシア映画ウィーク」では、ヤスミン監督の全6作品のうち5作品が上映され、日本でも新たなファンを増やしました。亡くなってからもなお、影響力のあるマレーシアが誇る映画監督の一人です。
現代のマレーシア映画とは
日本ではなかなか観る機会のないマレーシア映画ですが、第27回東京国際映画祭では、エドモンド・ヨウ監督の『破裂するドリアンの河の記憶』が、マレーシア人としては初のコンペティション部門にノミネートされたり、マレーシアで毎年開催されている「マレーシア映画祭」の最優秀作品賞(2015)を受賞した『Lelaki Harapan Dunia(邦題:世界を救った男たち)』が、「なら国際映画祭(2014)」で上映されました。また「福岡国際アジアフォーカス(2016)」では、ガズ・アブ・バカール監督の『ポリス・エボ』、大阪アジアン映画祭(2017)では、マレー系のデイン・サイード監督による『インターチェンジ』、華人系のジェス・チョン監督の『The Kids From Big Apple(邦題:わたしニューヨーク育ち)』やホー・ユーハン監督の『ミセスK』、タミル系のサンジェイ・クマール・ペルマル監督の『JAGAT(邦題:世界の残酷)』など、期せずして、マレーシアのおもな3つの民族の監督作品がそれぞれ取り上げられ、マレーシアの多様性を印象付けることとなりました。多民族がともに暮らすマレーシア。映画をとおして、私たちがまだ知らないさまざまな風習や文化、そして人の思いを知る、それがマレーシア映画の醍醐味なのかもしれません。
[この記事はWAU No.13(2017年9月号)から転載しています。]