今号は、映画コラムもP. ラムリー (P. Ramlee) をご紹介します!
P. ラムリーは、1950年代から60年代にかけてマレーシアで活躍した俳優、脚本家、映画監督、音楽家です。1963年には東京で開催されたアジア映画祭で「The Most Versatile Talent Award」を受賞しています。
P. ラムリーは、彼が学んでいたスーフィズム(イスラム神秘主義)と大好きだった日本映画に見られる禅の思想が入り混じった独自の世界観を持ち、『Musang Berjanggut』(1959)などのコメディ作品や悲恋物語『Ibu Mertuaku(邦題:わが義母)』など、他に類を見ない作品を生み出しました。自然信仰や自己探求とも言えるテーマは、『姿三四郎』(黒澤明監督、1943)に着想を得た『Kanchan Tirana』(1969)や『無法松の一生』(稲垣浩監督、1943)を元にした『Penarik Beca』などにも見事に表現されています。1973年に亡くなった後も、P. ラムリーの歌や映画は新しい世代にも愛され続けています。
最高傑作の一つ、コメディ『Pendekar Bujang Lapok』(1959)でP. ラムリーは、この世における自己の存在意義の探求の必要性を主張すると同時に、スーフィーの導師の教えが、テクノロジーが発展する現代社会においては適さないこともあるという懸念を表現しています。この社会的な主張は明言されていませんが、巧妙な映像の使い方で暗示されています。
ラムリーは、芸術は人々のためのものであり、自分自身の真の姿を見出すための手段であって、金儲けのためではないという信念を持っていました。今日の世界では忘れられている視点です。彼は、「芸術は神の作品」と信じていたのです。